「荘子の思想って何?」
「荘子ってどんなことが書かれているの?」
この記事はそういう荘子の思想に興味を持った人に向けて書きました。
私も荘子の本を読んでみて、自分に合いそうだと思いました。
自分がいいと思った所、印象に残った所を書きたいと思います。
しかし読んでも意味の分からないところもあれば、
読んでも、「で?それがどうしたのかしら?。」と意味をくみ取ることができないところもありました。
Contents
全ては相対的
自分から見たら、ここにいる人(近い人)Aさんとあそこにいる人(遠い人)Bさんがいるとします。
しかし別の人から見たら、Bさんがここにいる人(近い人)でAさんがあそこにいる人(遠い人)であったりします。
また、ある人にとってはCがいい事でDが悪い事。
でも別の人から見ればDがいい事でCが悪い事
だったりします。
自分が正しいと思っていても、別の人から見たら別にそうではないということです。
昔、会社で私の部署に対して非常に厳しい態度をとる別部門の人がいました。
その後、その人は私のいる部署に異動してきました。
異動のあいさつで、
「皆さん、今までは色々ご迷惑をおかけしておりました。
今日からこの部署でお世話になります。
今まで言ってきたことと全く別のことを言うかもしれませんが、
立場が変われば発言内容も変わるのでどうかご容赦ください。」
と言ってました。
まさに相対評価です。
全ては同じ一つの物 万物斉同
もし相対差別の評価を辞めれば、それもこれも、善も悪も、生も死も違いはなく、同じものになります。
同じものは一つの物です。
無の状態と有の状態も同じものです。
全ては一つのものであるということです。
評価や価値を認める事をやめ、ありのままでいる
全ては同じ一つのものなのに、それを良いとか悪いとか評価するのは意味がなく非常に愚かです。
それに気づいた人は判断すること、差別することといった行為を辞めます。
物事をあるがままに見て、差別・評価・価値を認めるといった人間の行為を辞め、自然の状態になる。
これが賢人や聖人であるとするのが荘子の思想です。
何かの評価基準に照らし合わせ、良い評価の状態になろうとする一般的な自己啓発とは異なる考え方です。
道(タオ)とは
荘子では道(タオ)という概念が出てきます。
道ってなん何なのでしょうね?
道は本来、言葉では表せないものと説明されています。
強引に説明しようとすると
- 真理
- 無限
- 根源
- 主宰者
といったところでしょうか。
科学では説明できないものが存在する
例えば手を伸ばしてコップを持つとき、
脳が筋肉に「手を伸ばしてコップを伸ばせ。」と指示を出しますよね。
その前に何者かが脳に「手を伸ばしてコップを伸ばそう。」と思えと指示を出すわけですよね。
それを繰り返していくと、その指示の基点って何でしょう。
自分の意識が指示を出しているということになります。
ではなぜ自分の意識はそうしようと思ったのか?
なにかから指示を受けているのではないか?
どうも説明はしきれないようです。
なんか得体のしれない別の物、主宰者がいるんじゃないの?
という思想です。
言葉は真実を伝えることはできいない
言葉は物事を伝えるのに必要なものですが、何かを説明した瞬間に、物事の一部を切り取らざるを得ません。
立身出世に価値はない
急に、現実的になりますが、
人からの評価、有名になること、高い業績を上げる事、天下を収める事、すべてに意味はなく、些細なものであるという思想です。
成長や向上心、上へ上へという考え方や何らかの価値があるとされているもので苦しくなってる人にとって、はっとさせられます。
「自分はいったい何を気にしていたのだろう」
と。
究極の道に達すると人はどうなるか
喜怒哀楽が無くなり、雨や風、痛みなどいかなる刺激、生死にも動揺することがない状況になります。
金や名誉、権力などに一切惑わされませんし、興味も持ちません。
全てをただあるがままに受け入れます。
友達としてはあまり面白くないかもしれませんね。
最後に
荘子の思想の一部ですが、興味を持って頂けたでしょうか?
いかに自分を高めるかというのとは異なる思想です。
全ての価値が等しいとすれば、自分にとって大事なものとは一体何なのでしょうか?
より深く理解したい方は本を読んで見てください。
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